STRAY SHEEP

夏の暑さに参ったのか。
自粛期間で監禁状態の日々に嫌気がさしたのか
答えは自分自身でもよく分からないほど複雑なんだけど。
自分の中で「ああしよう」「こうしよう」とパターン化していた物事に狂いが生じている気がする。
「気がする」と言うのは
それもまた人間味があって良いのでは?と感じてしまう枕草子な自分が居るからであって、他の複数いる自分に多数決をとるとするならば『無駄』の一言で終わってしまう非常に効率の悪いこと...
と最近はこんな事に時間を浪費している。
 
これがさっき述べた『狂い』の一つだ。
 
少し前の休校期間中でも同じ様な事をしていて
 
深夜に家から飛び出して夜明けまで駅で過ごしたり、
公園に生えてる雑草を摘んで家で火炙りにしたり。
健全な中学二年生とは対照的な生活を送っていたのが記憶に新しい。
 
心はまだ幼稚なままなのに
いつも見ていた電柱の高さが日に日に短くなっていくのを感じて
「これが成長か」と思う一方。
埋め合わせの効かない内面的な自分への劣等感が募る。

 

 


こんな感じで文を書くといつもマイナーな始まりになってしまう。
コードで表すとAmの様な響きでしょうか?
半ば僕の中で諦めがついているけれど、とにかく第一印象は悪いばかりで。
結果的に損をしている事は分かっているんだけどな...
 
8月9日
書いている途中に日付が変わったので印をつけておく。
 
今日は久しぶりにCDショップに入店したのを覚えている。
何年ぶりだろうか...?
幼稚園に通っていた頃は父と毎日の様にサザンオールスターズのCDを漁ってたんだけど、小学校に入学してから少なくなっていって...
お互い現実的になったって言うのもある。
今父に「今 何時?」と言っても「そうね だいたいねー」とは返してくれないだろう。
僕もあの頃の純粋さを取り戻す事は出来ないと改めて実感した。
マンピーのG★SPOT」なんて今じゃ歌えない。
 
最後に入店した記憶があるのは小学三年生の冬だった様な気がする。
小学校受験をして勉強に意気込みを入れていたのもつかの間。燃料切れを起こして脱線してしまったのだ。
原因一番は人間関係で、先生や友達とのトラブルに頭を悩ませていた事が多々ある。
 
まだ周りはそんなに考えなかった事や気にしなかった発言でも
自分の積み上げてきた価値観や経験を根本から捻じ曲げられてしまう様な言動に感じたり。
 
校外学習で行ったキッザニアに感謝の手紙を書く際に
「ぼくたちがいっている小学校はしゃちくを育てあげるためのしせつなんですか?」と
覚えたての言葉を並べた事で学校の問題生徒として保護者面談に差し招かれたり。
 
自分の中での『正解』と社会の中での『正解』に大きなズレが生じているというか。
もう。どうやっても埋め合わせの効かない何かが憚っている様な感覚に襲われていたの
を覚えている。
当時は周りが思う『正解』に合わせる他、解決策は無かったし。
自分の中で「違うんだよな」と思っていても口に出す事はしなかった。
また保護者面談は御免だからね。

とにかくこの負のスパイラルから抜け出す方法だけを考える日々にピリオドを打ちたくて、小学生ながら「死」について自分の中で自問自答を繰り返していた事もあった。

 

そんな中

出会った。「私以外私じゃ無いの。」という曲に心を打たれたのを覚えている。

大型のショットガンがうねり声をあげ、僕の細やかに振動する鼓動を突き破ったのだ。

 

周りは「私以外私じゃ無いの?当たり前じゃん」と嘲笑したが、自分には歌詞の意味がはっきりと分かった。 それと同時に。その曲が僕の進むべき道を明確に示してくれるコンパスの様な存在だという事にも。

 

周りに気を使っている自分。

友達に飽きられない様にとアンプのボリュームを上げて話をする自分。

 

当時どれが本当の自分か分からなくなっていた僕に、その作品は

「全てひっくるめて、それが君なんじゃ無いの?」と語りかけてくれた。

 

それが僕の原点でもあり、自分の価値観を屈折光の様に反転させてしまった一つの『事件』でもある。

 

 

自慢じゃ無いけど。家電オタクの自分家にはパソコンとかスマホとか、音楽を聴くには全く困らない設備が整っていた。

だから初めはYoutubeで音楽を再生してたんだけど、途中から。

「その曲を自分の手の内に入れたい」という考えになった。

 

空気と同じで常に触れ合っては居るものの、個体として指を交じらせる事の出来ないあの感覚。が当時の僕には歯がゆかった。それが音楽のロマンなのでは?とも思うが。。

 

手からすり抜けて行かない様に、個体として形を形成し続けてくれる様に。。と

自分の少ないお小遣いを全て注いで。CDプレイヤーとスピーカーを抱え込んだ記憶がある。

音質も凄く悪かったし、CDプレイヤーも1年ぐらいでぶっ壊れたけど、

お目当てだった『ゲスの極み乙女。』のCDを買う事が出来たので不満は無かった。

 

そう。このCDを買ったのが最後だった気がする。

 

嗚呼。色褪せた店内の入口が狭く感じたのは気のせいじゃ無くて、僕の身長が伸びたからなんだな。

 

時の流れとは早いものである。

 

 

CDショップの店内は真夏の日差しが焼き付ける外とは大違いで、涼しげな音楽は歩き疲れた僕を癒してくれた。

ここ2.3年はずっとウォークマンを使ってて、曲をストアで購入する事はあっても

わざわざショップまで駆けつける必要性は無かった。

 

でも改めて足を踏み入れると、面白い。

色々な音楽達が、耳の奥底で混ざり合い鼓膜の中で微かに共鳴する。

それは通学の際に聞く電車のブレーキ音や革靴をコンクリートに擦り付ける様な『音』よりもずっと美しくて。なんて言うんだろう。言葉に表せないけど。

とにかく「僕の耳が好んで仕方が無いのだろう。」

 

何を買いに来たのかも忘れ、備え付けのヘットフォンを耳にあてる。この計画性の無い行動でさえ、音楽は色彩を与えてくれる様な気がした。

 

気がつくと40分以上経っていた。さっきと比べて人通りが少なくなった様な気がする。

 

身体が店内から出るのを避けるあまり、時間という概念を一時的に前頭葉がストップさせていたのか?などと自論を展開させつつ、ブースを移動する様に足を運ぶ。

 

元々は米津玄師の初回限定盤『STRAY SHEEP』を買いに来ただけで、他のアーティストのアルバムを物色する気は無かった。

 

でも品物カゴには『クリープパイプ』『ずっと真夜中で良いのに。』『King Gnu』と。

予算を大幅に超えた量のCDが。。またやってしまった。

通りで、カゴが重いと思ったら。

 

この癖は4年の時を経ても健在で。

 

「このご時世。

経済を回してやるのも悪くは無いだろう。」と

僕はCDプレイヤーを買い直す分にとって置いた2人の諭吉を手離しまうのだった。

 

音楽の勉強をしていく傍、こうして日記を書いていこうと思う。

見返してみると自分の成長具合が分かるかもしれない。

進化してゆくのか、退化してゆくのか。未来はよく分からないけれど。。

 

 

最後に。中学2年。成瀬ルカです。よろしく。