ブログを消去した。

deleteキーの話は少し自分の抑揚が混ざってて。

気分の浮き沈みが激しい僕にとっては吐き気しかしなかった。


好きとか嫌いとかもコロコロ変わる。

恋愛的な感情は湧くも何も永遠が好きでね。


ちょっと酒を飲み過ぎたせいか、言葉がおぼつかない。


作文を書く時もよくワインとか口にするので気がつくと完成してる事がある。

変な事を書いている時もあれば、普段じゃ思い付かないフレーズを生むこともあるから、一貫して悪影響とはいえないんだよな。


ちょっとこの前は酔いすぎた。

永遠の愛を求めて。乾杯。


どうせ誰もみてねぇんだろ?

首を締めても締めても締めても死ねなくて。

改札前で始発の電車を全くのを思い出した。

できれば体は汚したく無い。

人生に終止符をうてます様に。

人生に終止符をうてます様に。

願っても、叶わない。

死ぬ事すら。叶えさせてくれない。

 

生きる勇気も死ぬ勇気も無い僕が

残せるものはそう多くは無いだろう。

 

周りにいる奴らにも呆れるし、醜い。

みんな自分が上に上がれる為だったらいくらでも利用する。

利益でしか物を言えなくて、そこに感謝も何も無い。

見返りを求めているわけでは無いが、「手のひら返しだ」

 

大っ嫌いな人間ばかりに囲まれて。

そこから『好き』を見出せ。なんて。それほど憂鬱なことは無い。

 

そもそもの根本的な考えのベクトルが違う。

またあの人の女神の様な眼差しに包まれていたい。

涙で滲んだ『144p画質の君』を。

 

会いたい。僕の心に空いた穴を埋めてほしい。

こんな人生望んで無いし、元から『望み』なんて無かった。

 

嫌ってる奴らに嫌われたって構わないし、憂鬱も何も無いけどさ。

腹が立つんだよ。自分がまるで世間の常識を代弁したかの様な事のほざきをえて。

 

死んでしまいたい。

こんな世界。間違ってる。

僕が正解でも無いし。解答があるわけでも無い。

でもこれだけは言える。

この世界は『不正解』だ。

 

また身体中アザだらけにして染め上げて、幕を切るのか。

今日決心がついて『死後の世界』へと行くことが出来るのか。

 

夜明け前の気分で決まるのだろうけど、今死んだ所で後悔は無いな。

 

あんな最低な奴らより、健やかな眼差しでうなじを撫ででくれる。

お前が一番最高だったよ。

「丹野 お誕生日おめでとう。」

 

 

 

 

冷めたローズヒップ

兄が沸かしてくれた紅茶も。

 

日暮れのコンクリートの様に冷めて。

 

砂糖を溶かすことさえ許してくれなかった。

 

暗闇の中。

 

僕を繊細に包み込むローズヒップの香りは母そのもので。

 

穴の空いた癇癪な心を癒してくれた。

 

塩水と混ざり合い複雑な風味を醸し出しているその茶葉の香りは。

 

僕そのものだった。

 

成瀬ルカ

月夜の晩に、ボタンが一つ。

幼少期の頃読んだ『銀河鉄道の夜』が偶然。

米津玄師の新曲「カンパネルラ」と結びついた。

いや、必然なものだったのかも知れない。

 

出会いとは不安定な地盤を往き来する鉄道の様で、この先。

どこに停車するのかは分からない。

 

交換価値の無いボタンでさえも、捨てる事の無かった中原中也の様に

僕は『月夜の浜辺』を歩いているのだから。

 

短編 成瀬ルカ

 

 

 

自殺。

 

『自殺』について考えたことは良くあって、

むしろ今よりも昔の方が題材を深く掘り下げて考察していた様な気もする...

 

 

「死ぬ方法」とか「楽に死ぬには」みたいな事も調べたは調べたけれど。どちらかとい

うと、興味があったのは『死んだ先の未来』のことで、

それはこの一方通行に進む人類の原点だと思った。

 

私たちは

窓の縁を這う様に歩く虫の集まりを人差し指で颯爽と殺すこともできれば、

目の前にあるカッターナイフで自分の動脈を切り刻んでしまうことも出来る。

 

『生きる』と対照的な意味で使われる『死』という言葉がこんなにも表裏一体で身近な存在である事に一種のロマンを感じるが。

 

もし痛みが死ぬ事への抵抗感を強める抑止効果を生んで居るのであれば、尚更。

痛みに強い自分が死ぬ事は簡単だと思った。

 

 

 

振り返ってみると何度も自殺未遂で終わっていた様な気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

増してゆく不快感。

夏の湿気と物騒な蝉の鳴き声が肺の中で下垂れるように循環して、とても情緒がよろしくない。

それは喉仏の中で雨漏りが起きているかのようで、自分の中で余分なハイオクを放出したいのだけれど。廃棄場所に困るあの感覚だ。

 

占いの結果は良く無かった。無情に照らし合わせた文字配列だが、

僕にとっては重要な道筋でね。

 

『僕の後ろに道はある。』と道徳とは対照的な価値観ゆえの行動が全ての元凶でもあって。謝ろうにも謝れない。取り返しのつかない喪失感が僕を襲う。

 

「遊園地で一人迷子になったかの様に、周囲に溶け込んでいけない人生は苦痛で。悲しいものなのだよ。」なんて人形に語りかけては返事のない戯れを楽しんでいる。

 

いつもは家の隅を埋める為の『オブジェ』でしかない人形も。今の僕には重要な『精神安定剤』に変わっていて。

 

何の為に人形を買ったのか?人形とは何なのか?なんて想像力を掻き立てては、疲れ。愛し合う様に手を足首に回し、眠りにつく。

 

占いを信じきっている訳ではないし。科学的な根拠もない。

ただ、自分の中でどこか。もどかしいと思う感情があって...

 

 そのもどかしさは、綺麗な水の中に砂が混じった様な感覚を僕に味わわせた。

砂を取り出そうとコップを傾けても排水溝の中に溢れていくのは水ばかりで、肝心の砂は底で上を見上げているだけ。


一生このもどかしさが消えることは無いだろう。

誰かに説明された訳では無いが、それは自分の中での宿命だと思っている。

 

でもこのもどかしさが無ければ、明日に向かって足を進ませる事をやめてしまう様な気がして。

 

結果的に助かっているのかな。

 

成瀬ルカ 短編。

やうやう白くなりゆく山際。

楽家を目指している彼の研ぎ澄まされた聴覚は。蝉の鳴き声さえ、眩く感じさせるほどだった。

 

街灯の光が目立つ程。辺りは暗くなってきたでしょうか?

 

答えを彼が知ることはありません。

 

 

瞳のない彼は、死に急ぐ蝉のように。

 

燃え尽きそうな生命の灯火を削る他無かったのだ。